紙喰い奇譚

 この家に訪れるものや連絡をしてくるものはほとんどいない。
 そろそろ五十になろうとしている年齢だが、共にする相手がいるでなしそもそも欲したこともなく、両親は幸いにもというか共に健在だが若い頃に絶縁して以来一切の連絡を絶っている。
 当然親戚筋にも良い顔をされておらず、それに加えて過去にあったことから勤めていた大学を離れたことによって友人というものから縁遠い存在となって久しい。
 それに不便を感じることもまして寂しさを覚えることもないのだが、いまでも極たまに交友のある数少ない知人には「そういうところだ」と言われても改める気がないのだからどうしようもない。
 そんな数少ない知人から呼び出しを受けたのが今朝のことだった。
『お前くらいしかこういうのは頼めないから来てくれ』
 詳しいことは言わずにそれだけで連絡は終わったので、どういう用件かはわからないがろくでもないことなのだけはわかる。
 今現在の自分に用があるのはそういうとき、そういう手合いだけなのだから。
「⋯⋯まったく、便利屋になった覚えはないんだがな」
「あるところでは実際便利屋だろう?」
 思わずボヤくと、壁のところからそんな声が飛んでくる。
 いつ見ても無駄にスーツをしっかりと着こなしている自分より二十は若く見える男を軽く睨んで、さも億劫そうに息を吐いてから出かけることにした。
 出かけるからといって聞かざる趣味はないとはいえ作務衣のままというわけにもいかないので、買ったのが何年前かわからない服に袖を通して出かけた先は年季の入った古本屋だった。
「目貫(めのき)来てくれて助かった」
 こちらの姿を認めると、店の主がそう声をかけてきたのに返事をするでもなく店内を見渡した。
「⋯⋯店内に変わりはないように見えるが⋯⋯いや、なにかが『在る』な」
「さすがわかるか」
「そりゃあ、これだけ臭ってれば先生でもわかるだろうね」
『先生』などとからかい気味に呼んでくる付いてきた男は無視して、奥まった本棚に向かった。
 見えた棚には変化がないように見えるが、付いた棚の前に立つと主は本を取り出して「これを見てくれ」と開いてみせた。
「⋯⋯喰われてるな」
 開いた本は、文字らしき文字がひとつもなかった。
 かといってまっさらな状態になったわけではなく、本そのものは古びた状態のままだ。
「用件はわかったが⋯⋯俺にどうしろっていうんだ」
「なんとかしてくれ、としか言えねえが。なにせ、こういうことをどうにかできそうなのがお前くらいしか浮かばなかったんでな」
 それもそうだろう。こんなものに詳しい人間がいくらもいても困るだけだ。
 そうは言っても、果たしてコレは自分が請け負うことが多い分野──呪いに関わるものなのかはぱっと見ただけではわからない。
「この本だけってことはないんだろ?」
 そう尋ねると相手は苦い顔で頷いた。
「ああ、この棚に置いているものがじわじわやられてる」
「移動させてみたのか?」
「それで別の棚にまで広がったら困る」
 その気持ちもわからなくはない。この奥にあるのはこの店ではあまり需要がないところなのだろう。そうでなければあんなに落ち着いていられるはずがない。
「この棚に置いてるのは」
「お前が読まないだろうもの」
「そんなものいくらでもある」
「その中でも一番読みそうにないもの。いつも言ってるだろ? 現実でも絵空事でも色恋に興味はないって」
 ああ、そういう棚かと納得した。
「俺としてはここにある本全部文字が消えても構わんな」
「そうだろうが、俺は困る。商売ものだ、なんとかしてくれ」
 なんとかと言われても、自分はただの少しばかり呪いに詳しいだけの男であってそれ以上ではない。
「⋯⋯しばらくひとりにしてくれ」
 とりあえずそう言って主を遠ざけてから、ずっと隣でやり取りを見ていた男の方を向いた。
「どう思う」
「調べるのを頼まれたのは先生だろう?」
「お前のほうが『専門』だろうが」
「『そのもの』と言いたいんだろうけど、まあ僕は先生についてる身だから助手らしいこともするさ」
 そう言いながら自分とは真反対のスーツできっちりをきめた姿をした、けれど自分以外には見えない男は棚を指差しながらゆっくりたどっていった。
 しばらくそれを放っておくと、男が「これだね」と指差したのでそこにある本を取り出す。
 古い本だ、ついでに言うと出版されたものではない、正確には『本』でさえない。
 それは古びたノートだった。中はあまり読む気にならないが周りにあるような物語に消えてほしいと思うようなことが綴られたものだろう。
「なんだってこんなものがここにある」
「誰かが置いていったからだろうね」
 店に恨みがあるわけではないだろうが、この規模の店でならなにかあってもたいした影響はないだろうと思っての可能性はある。
 こういう個人営業の古本屋は貴重だというのに、わかってないやつは困る。
「まあ、一応心当たりを聞くか」
 そう言って持っていったが主は置いていったもの含めて心当たりがないらしく、まあそうだろうなと思いながら聞いた。
「たぶん燃やせば解決すると思うが」
「じゃあ頼む」
 即答だな、と思ったと同時につまらんなと思ったまま口を開いた。
「いいのか? ある意味これは稀少本だぞ。なにせ、言いようによっちゃ生きてるんだからな」
 そういえば、主がしばらく悩んでいるのを眺めてから次の言葉をいった。
「まあ商売ものに手を出されるのはあんたは困るだろう。なら、俺がコレをもらってもいいか」
「むしろ引き取ってもらえれば助かるから頼む。なんならこの前お前が目をつけてた本も渡す。報酬代わりだ」
 それはこちらをしてもありがたい限りだ。
 そういうわけで件のノートを持ち帰ってしばらく眺めていたが、すぐにそれにも飽きてしまった。
「諦めなよ先生。そいつに先生が望んでいるような効果はないと思うよ」
 そう断言した男に、軽く舌打ちをしてから庭先で燃やした。
「諦める気はなさそうだね」
「当たり前だろう、いつか死ぬ呪いなんぞかけられてるんだぞこっちは」
「そんなもの、人間なら誰でもいつかは来るってのに」
 そう言って笑う男をにらみながら、いつもの場所であるこたつに戻って寝ることにした。