相談承りマス

「お客さんが来るようだよ」
 その声に家の主である男は、読んでいた本から顔を上げた。
 見たところ初老は過ぎているだろうその男は、ぱっと見た印象はあまり良いとは言えなかった。
 外見にあまり気を使っている風でもなく無造作に癖の強い髪の毛を後ろで束ねており、服装も夏だからか人を招くにはどうかと思う着古した作務衣であるのも気に留めていないようだった。
 目を覆っている前髪から覗く目は目尻は垂れているものの、三白眼と呼ばれるもののためなのかかけている眼鏡の度があっていないのか何処か相手を睨むように見える。
 玄関らしい扉が目の前に見える部屋は年季の入った和室だが、男の持ち家ではなく賃貸で家賃は安い上に古い。
 その部屋の真ん中に置かれている最後にしまわれたのがいつかもわからないコタツの中に入っていた男は、その住まいと外見に相応しい仕草とでもいいたげに億劫そうな息を吐いた。
「またなにか厄介事なのかな⋯⋯面倒くさい」
「そうは言っても追い返さないんだろう? 数少ない人との触れ合いなんだから」
 茶々を入れるような返事に、じろりと男は声がするほうを睨む。
 そちらに立っているのは、男とは対象的にストレートの髪をきちんと切りそろえ、そこから覗く顔はそれなりに好感が持たれるだろうには整っている。
 服装も夏だがスーツ上下をきちんと着込んでいる姿は、けれど同時に人を寄せ付けないような冷たさが感じられた。
「他人事だと思って勝手なものだ」
「やってくる彼らが用があるのは君なんだ、他人事なのは当然じゃないか」
 なにを当たり前のことをと言いたげな目でこちらを見てくる相手に、男はまた息を吐く。
「まあ、困ったことになればいつものように手を貸してやるから。とりあえず来客のために茶の用意でもしたらどうだ」
「したことがないのも知っていてよく言う」
 そんな埒もない会話をしている間に、扉をノックする音が聞こえてくる。
「開いてますよ、部屋を間違えていないのならそのまま中へどうぞ」
 愛想の欠片もない声だったが、それで帰る気配もなく扉が向こう側から開かれ、立っていたのはこんな場所には似つかわしくないような女性だった。
 年齢は大学生あたりだろうか。服装などにもそういう雰囲気は漂っているが、夏に長袖姿というのは少しだけ気になりはする。とりあえず派手に遊ぶタイプではないようだ。
 まあそういう輩はこんなところに来るはずもないなど心の中で思いながら、男は相変わらず億劫さを隠さない声のまま話を続けた。
「そこで靴を脱いでこちらにどうぞ。スリッパとかはないんですいませんがそのままで」
「あ、はい⋯⋯」
 汚れるほどの家具もなにもない部屋だが、女性は少し躊躇ったあとに「お邪魔します」と礼儀正しく挨拶をしてあがってきた。
「コタツ、入ります?」
「あ、それは流石に」
「まあ、そうですね。すいませんがお茶とかも出せませんが」
「大丈夫です、お気遣いなく」
 随分と礼儀正しい、と男は感心するでもなく思ったのか、のそのそとコタツから出てぼりぼりと頭をかきながら部屋の隅に置かれている冷蔵庫に向かった。
「そういえば、大家からもらった缶コーヒーが何本かあったかな」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
「僕が飲みたいんですよ。いまから話を聞く間手持ち無沙汰なのが面倒で。数が多いのであなたもどうそ。話していたら喉が渇くでしょうから」
 遠慮している相手を無視して一方的に話しながら、男は缶コーヒーを2本持ってきてコタツに置いた。
「というわけで、飲みながら聞きますけど。あんまりこういうものに縁があるように見えないんですけどね、ネットかなにかで見たクチですか?」
「えっと⋯⋯友達の友達からっていう噂で」
 いつの間に自分は都市伝説になったのだ。そう思っても特に不満はないらしい男は黙ったまま先を促す。
「すいません、失礼かもしれませんがあの、以前××大学に」
「ええ、はい。そこで教授なんてしてましたよ。ずっと昔の話ですけど。専攻もその様子ならご存知ですかね」
 男の問いに女性は頷いた。
「民俗学の⋯⋯ひとつだと」
「良いように言えばね。その中でも呪い関係にとりつかれたって評判が立ってついでにその研究が行き過ぎて精神が不安定になったとか好き放題言われて追い出された、いまはなんでもない男ですよ」
 話して楽しいわけでもない来歴だが、その結果がいまここに男が暮らしていることであり、ついでにこうして『客』が来る理由でもある。
 つまり、呪いというものを信じていて、かつ、それをかけられているという者たちの。
「心当たりはあるんですか?」
「これといったものは特に」
「申し訳ないんですが隠し事をされればこちらはなにもできないので正直に話してもらっていいですか。相談事がホンモノで、こんなむさ苦しい男のところに来るなんてのは時間がないからでしょうし」
「でも本当に、心当たりはないんです」
 ちらりとこちらの様子を見ている男に目を向けると、こちらに向かって頷いてみせた。
 どうやら嘘ではないらしい、そう判断して男は質問を変えた。
「では、具体的にあなたの身に起こっていることというのは?」
 その問いに、今度は少し間があってから女性は長袖をまくって見せた。
「ほう」
 そう声を上げたのは様子を見ていただけの男だったか自分だったか判断が付きかねたが、そう声を出してもしかたがないとは思われた。
「⋯⋯文字ですね。鏡文字か」
 言ったとおり、女性の右腕には幾重にも文字が刻まれていた。といって、ペンで誰かが書いたというものやタトゥーシールの類ではないのは見てわかる。
「聞くだけ野暮ですが、消せませんよね」
「はい、なので隠しておくしかなくて」
「まあそうですねえ、これはファッションにはどう考えても向かない」
 そのくらい文字自体は淡々とした字体だったが、書かれているものはひどいものだった。
 罵詈雑言とでも言えばいいのか、それで済ませて良いのかもわからない言葉がずらずらと並んでいる。
 ここ最近ではここまで苛烈なものは男には縁がない。
「よほど恨まれてますね。読みませんけどずいぶんとまあ口汚いもんだ」
「でも、書かれてることに心当たりがないんです。こことか⋯⋯人の男に手を出して、なんてしたことありません」
 だろうな、と思いながら同時にしかし最近の若者は見た目によらないともいうからな、というのは口に出さずに男はしばらく観察したあと女性に聞いた。
「鏡持ってます?」
「いまは持ってません。この文字が出たときは気になってそれで読みましたけど、いまはもう見たくもなくて」
 ならしかたがないと男は立ち上がって小さな棚によるとごそごそと目的のものを取り出した。
「ちょっと失礼しますよ、全文が読みたいので」
 それだけ言って鏡で腕を写しながら男はしばらく黙ってから口を開いた。
「読むのをやめたと言ってましたよね」
「はい」
「失礼ですけど、普段から聞かないんで今更ですが。あなた、夏美さんですか?」
「違います。秋月透子といいます」
 問われた意味がわからない様子で女性はそう答えた。
「ああ、じゃあ身代わりかあ」
「え?」
「いえ、これ何処かの『夏美』あてらしいんですよ、どれもこれも。でもあなたは違うというのなら、本来その人に向けられるものを身代わりに受けてる状態なんでしょうね」
 なんでもないようにそういえば、透子と名乗った女性はぽかんと口を開いた。
「そんなの⋯⋯どうして?」
「自分でなければ誰でも良かったんじゃないですか? そういうのは別分野なんで正直わかりませんよ。運が悪かったんでしょうね」
「そんなことで片付けちゃうんですか?」
 気持ちはわからなくもない、といえばそれは嘘だなと男は思ったので黙っていた。
 自分に向けられたものを他人に移すのは方法を知っていれば可能なことだ。
 方法と、誰でもいいなら不運な誰かの身に付けていたものだったり髪の毛や爪など身体の一部なりでも手に入れれば目的は遂げられる。
 説明は億劫だし必要もないだろうから答えなかったが。
「他に言いようがないですからねえ。しかし、どうするかなこれ。別に移すのが手っ取り早い気はするけど」
「そうすればいいじゃないか」
 独り言のようにつぶやいた男に、様子を見ていた相手が返事をする。
「まあ、それが早いか」
 そして男はそう言うと「ちょっと失礼」と断りもなく女性の髪をほんの少し切り取って、のろのろと移動して棚から取り出してきた人形に見えなくもないなにかに埋め込んだ。
「これ、あなたの身代わりです。それを適当な相手に投げておきます。たぶん明日にはそれは消えてると思いますよ」
「身代わり?」
「あなたの代わりにそれを受ける人に投げるってことです」
「え、でも、あの⋯⋯その人は」
「それ、あなたになんの関係があります?」
 それまでも淡々と話していた男の声がひどく冷えたものに変わったと感じた女性は、それ以上口を開けなかった。
「あなただって誰でもいいからで押し付けられたんですから、それ以上このことに首突っ込んでもいいことはなにもないですよ。自分の元から離れたらああよかったで話は終わり、そうしておくのがオススメです」
 どうやらそれで話も用事も終わったと言いたげな男の言葉に、今更のように女性は何処かおそれた目を向けながらも「ありがとうございました」と小さな声で行って部屋を出ていった。
「さて、これ何処に投げるかね」
「じゃあそれは任されようか」
 スーツ姿の相手が何処か楽しそうにそう言えば、男はそちらに向かって小さな人形のようななにかを向け──それは宙で消え失せた。
 受け取った気配もないのに、それはスーツ姿の男の手に渡っていたがそれに対してなにかを言うものは誰もいない。
「落としたものは持ち主に。本来の相手にでも渡しておくよ」
「好きにしてくれ、どうでもいい。自分にさえかかってこなければ僕は知りやしない」
 言いながらコタツで本を読み始めた男に向かって相手は楽しそうに笑った。
「それだけは安心しておけばいい。僕を祓う相手を見つけなければ他の連中は部屋に上がってくることさえできないさ⋯⋯先生?」
 そう言って、かつての助手の姿をしたけれど男にしかいまでは見えない相手は目的を遂げるために部屋から文字通り音もなく消え去った。
 残った男は小さくあくびをして、止まっていた本を読みだした。