怪夢~彼と彼女の夢~

 彼女を殺す夢を見る。
 場所がどこかはわからない。夢なので、それはきっとさほど問題ではない。
 明るい場所ではない。薄暗がりだったり、闇に包まれていたり。
 そこに、ぼくは彼女とふたりでいる。
 彼女は長い黒髪が美しく、白い肌に整った顔立ちをしていて、ぼくとはまるで吊り合わないような姿をしていた。
 身長はぼくと彼女はあまり変わらない。
 彼女が背が高いというよりぼくが男にしては低いせいだ。
 不釣り合いな彼女とぼくは、薄暗い中にふたりでいる。
 穏やかな空気というと少し違うが、険悪な空気はない。
 彼女はぼくに微笑みかけ、ぼくも彼女に笑い返す。
 だが、そんな時間は長くは続かない。
 やがて、ぼくが不用意なことを言ったために(なにを言ったのだろう、それが思い出せない)彼女の美しい顔が醜く歪む。
 彼女は立ち上がると醜く歪んだ顔のままぼくを罵り出す。
 赤い口紅を引いた口から吐き出される言葉は美しい容貌にはまったく似合わないひどいもので、汚泥のような言葉を彼女はぼくに浴びせかける。
『なんであんたはいつもそうなの』
『どうしていつも⋯⋯』
『そんなだからあんたは⋯⋯』
 止まることのない彼女の罵声に耐え切れなくなったぼくは、わああと意味のない言葉を喚きながら彼女の身体を突き飛ばし、馬乗りになると何処からか取り出した刃物で彼女を刺した。
 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。
 やがて薄暗かった空間は赤く染まり、その中央に彼女が横たわっていた。
 見開かれた目はもはやなにも見ておらず、口からは先程まであふれていた言葉の代わりのように血を溢れさせ、着飾っていた衣服はずたずたで真っ赤だ。
 死んだ彼女を、ぼくはただ呆然を見下ろしていた。

「⋯⋯そんな夢を、もう何度も見ているんです」
 話した内容を、目の前の人物は薄い笑みを浮かべたまま黙って聞いていた。
「ひとごろしの夢というわけね、素敵」
「素敵なもんか!」
 無邪気ささえ感じるような笑みを浮かべてそう感想を言った相手に、思わずそう怒鳴りつける。
「同じ夢を見ている、というのとは違うのかしら?」
 ぼくの激高など気にしたふうでもなく、相手はそう尋ねる。
「さあ、夢のことだからそれほどきちんと覚えてるわけじゃない。出てくるのはぼくと彼女のふたりだけ、場所だってはっきりしない、でも、いつも必ずぼくがつまらないことを言ったせいで彼女が怒ってぼくを罵るのは変わらない。そして、その彼女をぼくが殺すことも⋯⋯」
 殺害方法はそのときによって変わる。
 満身の力を込めて手で絞め殺したこともあればネクタイを使ったこともある。
 どこかもわからないところなのに高い場所から突き落としたこともある。
 なにか石か鈍器のようなもので延々と殴り続けたこともある。
 方法は違っても、ぼくは必ず彼女を殺すのだ。
 何度も何度も夢の中で人を殺す夢をみるというのは、いったいどんな心理なのだろう。
「いったい、どうしてこんな夢を⋯⋯」
 相手に言ったというよりは自問に近い呟きを聞いてから、相手はくすりと笑ってぼくに近づくと、耳元で囁きかけた。
 その声は、まるで夢の中から聞こえてくるような声だった。

「殺している彼女はいつも同じなのね?」
「ええ、そうです」
「とても綺麗なお姉さん。お兄さんとはとても吊り合わないような」
「⋯⋯ええ」
「その人は、いったいだあれ? お兄さんの恋人かしら?」
 そう尋ねられて、ぼくは気づく。
 ぼくには恋人などいない。いたことなどない。
 好きな相手はいた。だが、恋人ができたことなどない。
 何故なら、ぼくには⋯⋯
「恋人じゃないのなら、その女の人はいったい誰なのかしら」
「顔立ちはわかっているのよね? いつも同じ顔の人。じゃあ、お兄さんの知っている人ね」
 ぼくの知っている、彼女、女。
「夢は願望を表すなんていうわよね。でも、お兄さんの身近にそんな女の人、いるのかしら」
 くすくすという笑い声が聞こえる。
 それに混じって、別の声が頭に聞こえ出す。
 ああ、でもそれは、夢のなかの彼女の澄んだような声ではなくて。
『なにこの成績は、情けないわね』
『お願いだからお父さんみたいにはならないでちょうだいね』
『あの女の子はなに。あんな下品なこと付き合うなんて絶対に駄目よ』
 声を聞きながら、昔見た、写真を思い出す。
 部屋の片隅に飾られた写真立てたちの中にある、一枚の写真。
 ああ、そうだ。あの写真の彼女は、美しかった。

 ふらり、と立ち上がる。
 夢への不安は消えていた。
 そんなぼくの背中に、くすくすと笑う声とともに声が投げかけられる。
「さようなら。良い夢を」
 良い夢か。
 その言葉に、ぼくはけらけらと笑った。

 どう歩いていたかわからないまま、ぼくは目的地に着いた。
 ぼくの生まれ、育った、ぼくの家。
 鞄の中には、帰る途中に店で買った包丁が入っている。
 それとともに、ぼくはゆっくりと家へと入って口を開いた。

「ただいま⋯⋯かあさん」